昨日、西尾幹二さんが亡くなられたという報道があった。
原因は老衰らしい。89歳。西尾氏の著作に少なからず影響を受けた人間として哀悼の意を表したい。どうぞ安らかにお眠りください。
真の保守とは何か、をぼくは西尾氏から多く学んだように思う。『国民の歴史』から始まって著作集全3巻『西尾幹二の思想と行動』『天皇と原爆』『憂国のリアリズム』『皇太子様への御忠言』『権力の不在は国を滅ぼす』『異なる悲劇日本とドイツ』『アメリカと中国はどう日本を侵略するのか』『保守の真贋』『江戸のダイナミズム』『日本はアメリカに民主主義を教えよう』これらの著作が今、手元にある。全部を丹念に読んだわけではないが、西尾氏のメッセージは理解したつもりだ。できたら最新刊『日本と西欧の五〇〇年史』も購読したいと思っている。
『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』『日本と西欧の五〇〇年史』の三冊が自分の代表作になる、と西尾氏自身が述べていたので、西尾幹二の研究者でなければ、西尾氏の思想を理解するにはこの三冊で十分かもしれない。この三冊を繰り返し読むことで、日本の真の保守とは何か、またどうあるべきかが理解できるのではないかと思う。
余談になるが今から約8年前(あれからもう8年が過ぎた、月日の流れはなんと残酷だろう!)、「西尾幹二のインターネット日録」をブログで取り上げたことがあった。それにコメントする人がいた。名前を見ると、「日録」によく感想文を書く人だと言うことがわかった。この時、初めてネット空間の恐ろしさを実感した。
その人は勇馬さんと言う方で、ブログ上で意見交換しているうちに、辺野古埋め立て問題から始まり、沖縄に海兵隊は必要か否かを巡って論争にまで発展したのだった。当時、ぼくは毎週水曜日、島ぐるみ会議が貸し切ったバスに乗って、県庁前広場から辺野古に通い、そこで辺野古埋め立て反対派と一緒に座り込みを実行したのだった。そして機動隊にごぼう抜きにされた。人生初めての反権力実力闘争だった。それが暑い夏場で3ヶ月続いた。
勇馬氏はぼくの行動に一定の理解は示しつつ、自衛隊が抑止力として十分機能する日までと言う条件付きで、中国の脅威に対抗するには沖縄に海兵隊の駐留は必要だと主張した。
ぼくはそれに対して、沖縄に海兵隊が駐留するのは政治的な理由によるもので決して軍事的必然性によるものではないと、真っ向から反対した。何度か議論を交わして、結局お互いの主張のまま平行線で終わってしまった。それでもこの時の議論のおかげで、その後試行錯誤しつつも安全保障についての認識が深まったと自負している。建設的な議論のおかげである。
余談をもう一つ。
『西尾幹二の思想と行動』の中に謹呈と印字されたハガキより一回り大きな和紙が一枚入っている。そこに達筆で次のように書かれている。
自由であることは
ただそれだけなら
悲劇的なことである 西尾幹二 平成十二年十一月
なんと言う痛烈なアメリカ文明批判。ぼくはこのメッセージをそう受け止めた。西尾幹二さんは、日本の真の保守思想家だった。
エセ保守が蔓延る今の日本で、西尾氏の言葉は燦然と輝く灯火である。