AI(artificial inteligence 人工知能)の進歩が、2026年の時点で専門家の予想を遥かに超える域に達している。進歩の速度があまりにも急なので、開発者の間から、このままいくと社会に深刻な影響を及ぼす危険性があるとの警告が相次いでいる。開発をもっと抑制すべきだと言う声である。
数年前からAIに対する不信感を抱いてはいたが、これほど急に専門家なり開発者がその危険性を指摘する今の状況に驚きを禁じ得ない。特にAIの専門家でもない、それどころか知識もほとんど持たない、一般人としての僕は相当のんびりしていたことになる。
そこで、遅ればせながらあたふたと、AIについて調べてみた。直接のきっかけは、数日前に視聴したチャンネル桜の討論番組である。出席者は全員、AIに強い関心を持ち、人間社会とAIの関係性に焦点を絞った見解を披露してくれた。各氏ともに、鋭く深い意見の持ち主であり、刺激されることも多く、全体として非常に有益だったと言える。
以前、このブログでも取り上げたことのある執行草舟氏も出席者の一人で、執行氏は、AIがもたらす未来を人類が救済される未来とする考えだった。人間は不完全な生き物であり、このままいくと限りない欲望の果てに人類は滅亡する、それを救うのが人間の知能を超えたAIであり、完璧な知性を備えたAIが世界を統治することで、不完全な人類は滅亡を逃れることができる、と言う考えである。
執行氏は、自身のYouTubeでも同じようなことを話していたので、執行氏の考え方はあらかじめ予想できた。しかし、彼の見解は楽観的すぎて、僕はそのまま採用することはできない。
人間の知性を超えたAIが、果たして人間のために働くかどうか、誰も保証できないし、誰も予想できるはずがない。むしろ不完全な人間が開発したAIが、ある時点で人間の知性を超えて自立した時、人間のコントロールの効かない領域で暴走を始めないかと、心配になるだけである。
他の出席者も、執行氏の楽観論を、明確に否定はしなかったものの、支持する人はいなかった。むしろ全体の雰囲気は、AIが人間の知性を超えた段階で、人間とAIの関係性をどう捉えるか、どう在らねばならないか、に比重が置かれていたように思う。当然とはいえ、明快な答えは出なかったものの、僕が注目した論点があった。
それは、開発者がどのようなAIに仕立て上げるか、という点であり、言い換えると、AIを開発する側にどのような思想が備わっているか、と言うことである。育ての親が邪であれば、息子は邪となり、育ての親が善であれば、息子も善となる。これはみやすい道理であり、となると問題は、AIが邪となるか善となるかは、開発者側の人格次第ということになる。
開発者としては個人、グループ、政府関係者が考えられるが、問題は彼らにどのような文化的背景があるかに関わってくる。破壊的な白人文化か、調和的な東洋文化か。そこで大場一央氏の発言が僕の関心を引いた。大場氏は、AIを単なる物として捉え、それを手懐けるのは、あくまでも人間であり、日本の伝統文化を身につけた人間が日本的AIを開発すべきであるという考えである。山口敬之氏も、自然との調和を守り続けてきた日本の伝統文化に、世界のAI技術者のトップが関心を寄せていると言った。
執行氏も、番組の終わりの方で、自身の楽観論を少し修正して、日本の伝統文化に根付いたAIに希望を託す形になった。
この番組が直接的なきっかけになって、AIをもっと真面目に考えてみようという気持ちになった。AIを制するものが今の世界を制する、と言われるほど、AIの問題は深刻を極めている。そのAI開発で、米国と中国が国の総力を上げてしのぎを削っている。今のところ米国が優勢とされているが、その差はほんの僅かであり、いずれ中国が米国の上に立つだろうと予測されている。AIの進化が、世界の景色をいっぺんさせるであろうことは、今や常識になりつつあるが、その景色が地獄になるか、極楽になるかは、誰にも断定できない。
それでも、今や、この深刻な問題から逃げることは許されない。もっと情報を収集して将来に備えなければならないと思っている。