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映画『ロストケア』が投げかける深刻な介護の闇

吉永小百合主演の「母と暮らせば」をプライムビデオで見終わって、しばらく余韻に浸りつつ消そうと思った瞬間、画面は別の映画に代わった。そのまま消そうかどうしようか迷ったが、「母と暮らせば」があまりにも切ない母親と息子の愛情を描いた作品で、人間性善説のような品の良さに少し物足りなさを感じていたので、出だしがもし面白そうならそのままにしようと思い画面を見つめていた。

出だしはこうだ。パトカーの周りに数名の人が集まりガヤガヤ騒いでいるところに、タクシーで駆けつけた女性が事件現場らしい古い建物に向かって走っている。女性は赤いマフラーで顔下半分を隠した状態で建物の中に入る。女性の目に映ったのは、腐乱した死体が袋に入れられて運び出されるところであり、敷き布団は黒ずんで腐乱し、部屋の中は散乱状態で悪臭が漂っていた。死体は2ヶ月後に発見されたらしい。出だしから引き込まれそうになり、そのまま見ることにした。

赤いマフラーの女性は誰で、死人と彼女の関係は何なのかは後で明らかになる。場面は変わり、ある家に訪問介護士が3人、大きな声で「おはようございます」と挨拶して入ってくる。

返事はない。それでも3人は慣れた様子で中に入り、手分けして家の中を物色する。すると四つん這いで移動する人を見つける。介護を受ける老人の男性だ。3人(若い男性と若い女子、そして少し年配の女性)は早速介護作業に取り掛かる。若い男性は斯波宗典(松山ケンイチ)といい、経験が長いらしくグループリーダーだ。老人は重度の認知症患者で、介護士たちのなすがままにうなだれた状態で身を任せている。

そこに娘の梅田美絵(戸田菜穂)が急いで駆け込んでくる。介護士たちに礼を言い、遅れたことを謝る。食事後の乱れた食卓を急いで片付けようとして、滑ってお盆をひっくり返してしまう。介護士たちはその様子を見て、帰る車の中で、美絵さんはもう介護疲れで限界に来ているんじゃないかと心配する。

グループリーダーを務める斯波宗典は真面目で、介護センター内でも信頼され、訪問介護を受ける人たちからも優しいと評判だった。ある日、その介護センターで事件が起きる。

梅田美絵の父と介護センターの所長が梅田宅で死体になって発見される。事件捜査の担当者に任命されたのは、大友秀美(長澤まさみ)という女性検察官。赤いマフラーで顔下半分を隠していたあの女性だ。

事件を調べていくうちに、斯波が務める介護センターで介護老人の死亡率が異常に高いことを突き止める。介護センターの職員をはじめ、訪問介護を受ける家族の人たちの聞き取りを進める中で、斯波が容疑者に浮かび上がる。事件の夜、斯波が乗った車が防犯カメラに写っていたのだ。それと事件の後、斯波は頭に包帯を巻いていた。これは死亡した介護センターの所長と争った跡ではないかと疑われる原因になった。

大友検察官の事務所で、斯波に対する取り調べが始まった。防犯カメラの映像、頭の包帯、介護センターの41人の老人が死亡した前後の日にちが、斯波の休日と重なっていること、などを挙げて問いただした。しかし斯波は沈黙している。

物的証拠は何一つなく、捜査は行き詰まった。そして決定的な物的証拠が見つかる。盗聴装置だ。訪問介護先のある家で発見され、その家のものではないことがわかった。斯波は几帳面に訪問介護の日記を毎日、詳細に綴っていた。それを読んだ大友検察官は、これだけ詳しく家の事情がわかるのは、斯波が仕掛けた盗聴装置によるものだと追求する。

斯波は観念して全てを告白する決心をする。これまで自然死か病気が原因で死亡したとされた41名の老人の殺害を認めたのだ。しかし、ここがこの映画の最大の見どころだが、殺したのではなく救ってやったのだ、と斯波は大友検察官に言ったのである。

ここから介護の地獄のような現場を身をもって体験してきた斯波と、法律に則り犯罪者を裁く立場にある大友検察官との間で、誰の主張が正しいか真剣な論争が展開される。

確かに斯波はある夜、盗聴装置を仕掛けた訪問介護先の家の近くに車を停めて、家族の会話の様子を聞いていた。そこから聞こえてくるのは、重度認知症の母親と娘の激しい言い争いであり、孫の女の子が泣き叫ぶ声だった。昼間の訪問介護では知る事のできない地獄絵だった。

心の優しい斯波は、そんな家族を救ってやりたいと思ったのだ。斯波は介護士になる前は印刷会社で働いていた。印刷会社を辞めて介護士になるまで3年の空白期間があった。その3年間、斯波は父親・正作(柄本明)をアルバイトをしながら自宅で介護していた。親子の関係は良かった。しかし歳とともに正作の症状は悪化し、アルバイトを辞めて介護に専念する日々が続いた。生活費は正作の年金だけ。しかし月7万円の年金では家賃と光熱費で消えてしまい、ついに3度の食事が取れない状態まで追い込まれる。

そこで斯波は最後の命綱、生活保護を受ける決心をする。申請書を見た役所の職員は、「これでは受け付けられません」と言う。「どうしてですか?」「だって、あなたまだ働けるじゃない」。

救いの道が全て閉ざされた時、寝たきりになった正作が息子の耳元で息も絶え絶えに囁く。「俺を殺してくれ、これ以上お前が苦しむ姿を見たくない」。

正作が眠っている時、斯波はニコチン注射を父親の左腕に打った。泣きながら父親を抱きしめると、枕の下で何かが手に触れた。赤い折り紙の鶴。ほぐすと文章が書かれている。「俺は幸せだった。俺の子供に生まれてくれてありがとう。」

正作の死は心臓麻痺と認定された。この時、斯波は考えた。僕は父を救ったのだ。斯波自身も地獄のような介護から解放された気になったに違いない。斯波は介護士になる決心をする。

この話を取り調中に聞いた大友検察官の母親も実は、認知症の進行で老人ホームに入所していた。母親は離婚後、一人で娘を育てた苦労人だった。そんな家庭の事情もあり、大友検察官の心に微妙な変化が起きる。斯波の主張も完全に否定することはできないのではないか。しかし大友は国家公務員である。厳格に法律を守らなければならない立場だ。斯波に同情を示すことはなかった。

しかし終わりの場面で、大友は刑務所に収監された斯波の面会に行く。そして告白する。実は、自分も父親を殺したのだ、と。別れた父親から何度も電話がかかってきたのに、自分は無視し続けた。きっとあの時電話に出ていれば、父親が死ぬことはなかった、だから私が父親を殺したのです、と。大友の父親は、映画の最初の場面に出た死後2ヶ月経った、あの腐乱死体の人物だった。大友は、あの時電話を受けて父の面倒を見てあげたら、と言う後悔の念に苦しんでいるのだ。斯波と透明の壁越しに向き合った大友は泣き崩れ、斯波の目から涙が流れ落ちる。大友は検察官としてではなく、一人の人間として斯波に告白する気になったのだ。

以上が大まかなあらすじだが、この映画が提起する問題はあまりにも大きすぎる。見終わってそう思った。今の日本の社会状況を介護の世界を通して抉った問題作で、政治の貧困を浮き彫りにして、観客にどうすればいい?と鋭く問いかけている。貧困に陥るのは自己責任とする風潮が蔓延している今の日本。何某総理大臣も、自助、共助、公助と並べて、まず自分で頑張ってダメなら最後には公助がある、と言っていた。しかし斯波は、最後の公助となるはずの生活保護を拒否された。そして父親を殺した(救った)。その後、就職した介護職の給料は安い。重労働に加えて給料が安いために、離職者が後をたたない。政府はれいわ新選組の提言を聞かず、報酬の大幅引き上げをずっと渋っている。介護の闇は政治が作り出した政治家たちの責任である。

政治の貧困を終わらさない限り、第2第3の斯波宗典が現れてくるだろう。それが今の日本の救いのない現状である。