昨日封切られた『Civil War』(邦題:シビル・ウォー アメリカ最後の日)をメインプレイスで鑑賞した。結論を先に言うと、少々期待外れだった。半年前に予告編を見て以来ずっと今日という日を待ち望んでいただけに残念である。映画は最初から期待してみるものではない、と改めて思い知らされた気がする。
どこが期待外れだったかと言うと、内戦が起きた政治的背景の説明が一切ないことだ。内戦が起きた原因を追究していくことが最も重要であるはずなのに、またそこをどう描くかに関心を持っていたのに、期待は見事に裏切られた感じだ。
アメリカが国内的に大変な事態に陥っていることを知らされたのは4年前の大統領選だった。民主党による不正選挙の実態が次々とネット上で報道され、ついにトランプ大統領支持者たちがホワイトハウスに乱入するまでに至った、あの時の信じられないような光景。
あれ以来、できるだけ多くのアメリカの国内情勢に関する情報に当たってきたのだが、アメリカは想像以上に深刻な事態であることがわかった。そしてアメリカの今の状況に詳しい複数の識者が、このままだと内戦が起きる可能性もあると言及するようになった。
そこでタイミングを計算したかのように、アメリカの内戦を描く映画が公開されたのだ。当然期待は高まる。アメリカが混沌とする原因は何か、真実を知りたい。映像という迫力ある媒体で。オリバー・ストーン監督のドキュメンタリー映画『ウクライナ・オン・ファイヤー』が僕の脳裏にあった。この映画で僕は、ウクライナが抱える国内矛盾の真実を知ることができた。ただし、『シビル・ウォー』と『ウクライナ・オン・ファイヤー』は当然ながら性格が異なる。前者はフィクションであり、後者は事実を扱っている。この違いは大きい。
しかしフィクションの制限はあっても、真実が語れないわけではない。そう考えると再度繰り返すが『シビル・ウォー』は期待外れだった。この映画に真実を期待することはできない。
ただし評価できる部分もある。同国人同士が殺し合う内戦の残虐性をこの映画は非情なタッチで描いている。人種のるつぼと呼ばれることもあるアメリカ人の亀裂と矛盾を突く場面。武装兵に捕えられたジャーナリスト3名(男1人女2人)とその友人2名(男)が対峙している場面だ。友人の1人は何かのはずみで銃殺された。このままだと全員が殺される危険を感じた男性のジャーナリストが武装兵を説得するように言う。「We are all American, Ok ?」それに応えて武装兵が言う「ok, What kind of American are you ? 」わかった、ではお前はどの種類のアメリカ人だ、と武装兵はやり返す。この言葉に全員が凍りつく。緊迫する雰囲気の中、武装兵は一人一人に出身地を聞く。それに答えたジャーナリスト3名はどうにか難を逃れるが、震えながら「Hong Kong」と答えた友人は瞬時に射殺される。この時猛スピードで走ってきた車が武装兵2名を弾き飛ばし、3名を車に乗せて走り去った。車を運転していたのは、ジャーナリスト仲間の老人で足が悪いため一人、車の中で待機していたのだ。
この場面はアメリカの人種構成の困難な矛盾が、実は深い闇の中でトグロを巻いていることを匂わせている。出身地がどこであれ市民権を得た人間は、法的には正当なアメリカ人であるはずなのに、またそれが民主主義国家アメリカの素晴らしいところであるはずなのに、社会が混乱し収拾がつかなくなると法的正当性は消えて何の役にも立たなくなる。アメリカという国が抱える深い矛盾を考えさせる場面である。
バイデン政権の4年弱で、違法移民が1000万人を超えたという説がある。それが原因で窃盗、殺人、レイプが激増し、社会は大きく分断された。民主党と共和党は憎しみ合い、このままだと内戦が起きる可能性が指摘されている。
もし内戦が起きたとしても、この映画のようになって欲しくないと願うばかりだ。そうなると間違いなく第三次世界大戦の引き金を引くことになるだろう。いずれにせよ、アメリカ合衆国という野蛮な民主主義国家は、実に厄介な国である。
こんな国とは早く縁を切って独立しなければならない。合言葉は日本独立!